2018年 08月 08日
校則の緩さ決め手になりました
一日でも早く家を出て
たくさん働いて自活して
一人で生きていきたいと
現実的に思い始めたのは
高校受験の話がでるころでした
「高校なんかに行かせない」という父のことばが
本当だったのかそうでなかったのかは
今では確かめようがないけれど
あの頃は怖くてそんなことを
聞く勇気もなく
自立したい私と父の思いが一緒なんだと
思いました
けれど担任の先生に
働く場所はないと言われ
そのうえ父と高校の話をしたらしく
結局受験することになったけれど
高校の費用を巡ってまた父に
毎日のようにあれこれ言われ
私はぱたりと勉強をするのをやめました
1校受験して落ちれば
私の望みどおり働けるのですから
でもあきらかに落ちるとわかっている学校への受験は
父を怒らせてしまいます
のらりくらりとぎりぎりまで知らん顔をしているうちに
今度は私が高校へ行きたくなったのです
で、どうせなら楽しく過ごせそうな
学校を選んだのです
結局授業料は
担任の先生のはからいで
学校独自の返済なしの
奨学金で通わせていただきました
☆校則の緩さ決め手になりました『緩い』
ある意味今の私があるのは
関わってくださった先生方のおかげです
ありがとう
※
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by eikel
| 2018-08-08 17:01
| ふぉと川柳・こころ・病気・etc
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