2018年 08月 21日
お茶漬けと鬱を掻き込む明日は晴れ
数年ぶりにオクラの花に出会いました
やわらかい襞にふれると
今にも破れてしまいそうで
それは心の奥に大切にしまっている部分と
重なるとおもっています
きっと誰も入ることのできない領域で
私自身や大切な人など
似た環境に身を置く人たちにもあるのだとおもいます
たとえば病気・・・
難病とどう向き合い どう付き合い
どう納得して生きるか というようなことです
二週間ほど前
若いAさんが臓器全摘手術を受けたと聞きました
その臓器に隣接するほかの臓器の一部も
切り取らなければいけない状態
だったらしいのですが
しんどく苦しい治療を受けていくうちに
なんとか温存出来るというので
ちょっと胸をなで下ろしました
Aさん本人はというと
手術も治療も
きっと怖いであろうこれからを生きるということにも
一切触れることなく
ただただ前を向いて
ただただこれから良いことがおきて
ただただ幸せに生きていくことだけを
話してくれます
その原動力はどこから出てくるのでしょう・・・
夢を持つこと
生き続ける決意
周りにいてくれる人々への感謝
ちっちゃいちっちゃいことのありがたさなどが
Aさんのやわらかい襞を
しなやかにさせているのかもしれません
私はまだまだだなぁ
大切な人がいた部分にぽっかりと空いた穴は
誰にも なににも 埋められず
そこに蓋した襞に触れると
頑張っていることも
強くいようとすることも
子供たちをどういう形にしろ
守りたいということも
できなくなりそうで
自分自身が壊れるかもと思いそうです
でも ほんとうはそんなことは起きず
子供や 身内や Dr.や 友達や
私がかかわっているすべての「存在」が
だまって手を差し伸べてくれるのです きっと
だからそう簡単に
私が壊れるなんてないし
ぽっかり空いている穴も
そこには大切な人がちゃんといてくれるので
なにも無いということはないんですよね
絶対に「ある」んです
見えてないだけで
見ようとしてないだけで
ほかのことに目が向いてしまってるだけで
私もAさんのように
ちゃんと私を見て
生きようとあらためておもいます
☆お茶漬けと鬱を掻き込む明日は晴れ
何が言いたかったのか
支離滅裂になった文を
読んでくれて
ありがとう